もう十年も前になりますが、兼ねてから超重戦車E-100の画像を見る度に考えていた事を実行してみました。
マウス超重戦車より後に開発されて車体まで完成したE-100には、マウスの砲塔を乗せる計画だったと、どの資料にも記されています。
だけど、ポルシェが開発したマウスの車体へ乗せた砲塔を、発注されたアドラー製作所と協力するヘンシェル社はそのまま使ったでしょうか?
しかも、モックアップでヒトラーにショットトラップを招くと指摘されているマウスの砲塔の前面下部は、パンターの防盾をG型で顎付にした教訓が全く活かされていません。
これでは、いくら外周の装甲を厚くして100t以上もの重さにしても、砲塔の全面下部で跳弾した敵の大口径徹甲弾が、車体上面の比較的薄い装甲を容易く貫通して撃破されてしまいます。
それに広い前面面積の四角い砲塔デザインはポルシェらしくなく、痛い目に合わされたT34戦車の避弾経始に優れた砲塔形状も参考にしていなくて、末期の情勢なのに無駄なスペースだらけで重量が嵩むだけです。
マウスの砲塔の使用を良しとしないヘンシェル社ならば、自社が開発したティーガーⅡから継承する砲塔のデザインは、ポルシェ砲塔の装甲厚をそのままに、ゲテモノっぽくなる75mm砲は無くして砲塔重量を半分近くに軽量化できていたでしょう。
という事で考えを2005年4月に架空のE-100超重戦車 Ⅱ(マムート・ツヴァイ)として形にしてみました。
砲塔形状はアンブッシュ戦闘で被弾率が高い右側面の装甲板を、左側よりも大きな傾きにしたので、左右非対称です。
これ以上に砲塔をコンパクト化すると、弾頭と装薬に分けてもデカくて重い128mm砲弾は、二人掛かりでも装填するのに困難を極めるというより、無理です。
また、参見する写真資料の前面装甲板の80mm+60mm+45mm+20mmの合計205mmの合板形状や、手間を掛けているような組み付けと溶接具合から正規仕様ではなくて、『取り敢えず形にしました』みたいな感じがします。
Eシリーズで用いる装甲板を合わせるよりも、当時既に確立されていた自動溶断システムで200mm厚の一枚鋼板で製作した方が、工程効率とコストパフォーマンスは良いですし、防弾性にも優れているでしょう。
合板にするのは、粘着榴弾の密着爆発や大口径弾の弾量衝撃で装甲板の内側面が、そのホプキンソン効果のスポール破壊で剥離し、爆発的に飛び散る鉄片によって殺傷や破壊を防ぐ為だったのかも知れませんが、200mmもの厚みなら僅かでもニッケル材を含有させれば、粘る鋼材質でホプキンソン効果を吸収して、被弾箇所の内側面の剥離速度や量を減少させたでしょう。
という想像と仮説を3D化すべく、当時住んでいた横浜市都筑区のアパートの部屋でドラゴンの1/35モデルを改造して作ってみました。
ですが、シェイプアップして避弾経始に優れた砲塔を車体に乗っけてみた時点で、製作意欲が薄れてしまい、外観保護にUVカットタイプのライトグレーのサーフェイスを吹き付けたまま放置して十年も経ってしまいました。
それが今年、2015年5月の初めに『エルベの魔弾』を読み直していたところ、ふとディオラマ化しようと遣る気が再燃しまい、車体の装甲板を不自然さが無い厚みと組み付けを整えたりして、ようやく完成形にする事ができました。
PS:
改造と仕上げ製作に使用した工具や塗料は全て、中国広東省広州市に在る英利模型から通販で購入しています。
品質に問題は無く、価格は日本より少し高めで、注文してから二~三日くらいで届きます。
ディテールアップのエッチングパーツは、こちらでの入手は難しいので細部の緻密化は出来ていません。
砲塔上のペリスコープは次回の一時帰国で購入する予定で、砲手用以外は入っていないです。
このマムート・ツヴァイを、1945年5月7日のFerchland村の渡し船乗り場を守る設定でディオラマ(May 7, 1945, the Mammut at Ferchland village.)製作を考えているのですが、まだまだ完成は未定です。