以前、二作目で立体に彫り込んだ『小さな女の子の神様』と同じ図柄ののぞみ札です。
前作は背景の階段を明るい配色にし過ぎていまい、夜に旅立つ神事の雰囲気になっていませんでした。
それで『Ⅱ』は、ぼんぼりの灯りの照らしと影を強調した色合いにしてみました。
彫り込みは正面顔ですから、鼻を3D化する高さを得る為に透かしになりそうなくらい階段部分を薄くしています。
ですが、欠けそうになるのを騙しながら彫り上げた小さな鼻は、とても可愛いとは言えません。
パソコン画面の画像とプリントした原画の色調が違うのも、難題でした。
画像ではコントラストがはっきりしている地色なのに、プリントは赤っぽい夕焼け色に全体がなってしまいます。
かなり画像の色調をかえた別画像で何度か試しても、望む色合いでプリントされないので、結局、パソコン画像で色合わせをしていましたが、何となくイメージと違うような気がします。
図柄は、神無月のぼんぼり祭りの夜に人の姿に窶した湯涌稲荷神社の狐神様達に送られて、出雲大社へ一時帰国する祭神の小さな女の子の神様で、作中のシーンを模しています。
五穀豊穣と生業繁盛を請うて湯涌の地に祀られる湯涌稲荷神社へ、神無月に八百万の神が集う故の縁結びの出雲大社から、『小さな女の子の神様』が降臨されて勧請(かんじょう)したのは、アニメ『花咲くいろは』の最終話故。
豊穣の稲荷神を祀る恩恵の地に、幸せの女神様降臨!
こうして湯涌の地は、生業を栄えさせ、愛を生み、幸せを育む湯の町に成りました。
以後、合祀された『小さな女の子の神様』が神無月の出雲大社へ向かう日に、湯涌ぼんぼり祭りは開催されています。
十月は神無月ですが、八百万の神々が出雲に集うだけで、社の地に神が不在になる訳では有りません。
分霊のように、神は世界中のどこにでも居るのです。
人間感覚に例えれば、神無月は八百万の神が出雲へ傾注したり、分身を出向させてリアルタイムでコミュニケーションしているような感じでしょう。
神無月は神の月ともされ、八百万の神の意が集う出雲の神在月は、大社で御縁尽くしの五百五十五円の御賽銭を入れて二拝四拍手一拝の御参りをすれば、八百万の神々が聞いていてくれそうです。
でも、住所氏名を言っても願いを聞き入れてくれるかは、別の話。
ぼんぼり祭りでの『小さな女の子の神様』は、御祭りを守護しながら分身の旅立ちを見送り、そして、全てののぞみ札の願いの中から叶える願いを選んでいると思います。
神様の合祀(ごうし)と分霊(わけみたま)について:
神道の合祀とは、一つの神社に二柱以上の祭神を祀る事で、それは別の神社から移して遷座させる神様や勧請や分霊と言われる分割した神様を、受け入れ先の神社の神様と一緒に祭神として合わせて祀る事です。
本社の神様の神霊は無限に分ける事ができ、分霊しても元の神霊は全く影響が無く、勧請した分霊も本社と同じ働きを行います。