遥乃陽 blog

創作と改造のプライベートな趣味の世界

遣りたい事がたくさん! いつもバイオリズムとモチベーション次第。

ゼロ戦のバブルキャノピー(多い窓枠と平板ガラスを省いてみた)

幼い私が貸し本屋の漫画で初めて見たゼロ戦は、機体全体のフォルムを長くて大きなキャノピーが纏めていて、とても洗練された優しいデザインが美しくて可愛いと感じてしまいました。

その柔らかく丸みを帯びた日本的な機能美が素晴らしく、ゼロ戦の画像や模型を見る度にチョイブスの九六式艦戦から、どんな感性のイメージで十二式艦戦の芯の強いたおやかな美人形に至ったのかと考えてしまいます。

零式艦戦のビューティーポイントはキャノピーに有ります。

機体は理論と経験値から導かれて機能的で優美なデザインに至りますが、大きくても整流されて後方に渦を巻かない空気抵抗の少なさはアバンギャルドでイノベーションです。

P51Dや現在のジェット戦闘機のバブルキャノピーに匹敵する全周視界を確保した大きさの優れたデザインを十二式艦戦で開発したのは、なんて先進的で素晴らしい事でしょう。

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それにしても、どうして其の閃きに至ったのか考えてしまいます。

ゼロ戦のキャノピーの高さと後方に伸びる大きさには、堀越技師の個人的な拘りが有ったのだろうか?

先に設計した九六式艦戦はオープンの風防だけど、座席に座った時の高さや前の広さはゼロ戦と同じくらいだったのだろうか?

その広さが開放感を好む粋な海軍パイロットに評判が良くて、後方視界の悪さを改善させ、閉じても開放的な広がりを感じさせるゼロ戦のキャノピーのサイズになったのだろうか?

積み重ねて来た設計経験の延長線上のセンスだったのだろうか?

などと、各方面の要求事項の優先度を摺り合わせた結果で、決して設計者個人の事情が主張されたのではなく、寧ろ片隅へ退けられたのだろうと考えてしまいます。

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このキャノピーを構成するガラス板と枠の多さは終戦まで、なぜ簡略化の改善をされなかったのでしょう?

省いた枠材の二つ分で、一つのキャノピー枠を製作できるのに。

1943年~1945年当時の日本の硝子製造技術で、半強化ガラスと有機ガラスの積層は可能だったと考えられますが、戦争末期の物資不足が逼迫する状況に最期まで、なぜ、多工程で多数の枠と平面ガラスで製作するキャノピーを3部構成の曲面積層ガラスに変更しなかったのでしょう?

自動車のフロントガラスの両脇を支えるピラーでも、横断歩道を渡る人や真横に並ぶ二輪車の発見の遅れや見失ってしまう邪魔な視界の遮りなのに、鳥籠のような枠の多さは気にならなかったのでしょうか?

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そんな疑問から、ハセガワ1/48零戦52型丙のキャノピーを三分割した曲面ガラス構成にしてみました。

設定は昭和二十年六月下旬の小松基地で出撃を明日に控えた神雷隊の護衛機です。

曲面一体成形の有機ガラスは、旭硝子と藤倉工業の技術協力で小松製作所小松工場にて製造され、風防枠は小松市の大領中町に在る彩雲を製造していた小松航空機製作所が製作を行い、共に飛行場から鉄道の引き込み線が在る小松製作所粟津工場へフラットな木製床の長物貨車で運ばれて組み立てられました。

粟津工場では電気炉でアルミ合金の部材を鋳造までして補強した機首の構造枠へ、主翼から外した二門の13mm機銃を52型乙より10cmも前置きで組み込んだ改造を52型丙に行っていて、その改造機体に試作した新キャノピーが取り付けられました。

機首の二門の13mm機銃装備は、搭乗者の嘆願から基地司令が許可して1機のみ改造されました。

機銃は海軍の三式13mm機銃より陸軍のホ103 12.7mm固定機関砲が短くて軽いのだけど、弾薬も工具も規格が違って使えないという愚の骨頂の極みです。

という架空の設定ですが、これくらいの改造をする余裕も無くて生産工程を短縮できなかった大戦末期の精神主義が暴走する日本が哀憐で残念至極です。

昭和二十年へ戦争を継続させた責任者達を許せないですね。

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キャノピーの多い枠を省いて機首に二門の13mm機銃を搭載した、実際には無いタイプです。

ハセガワの1/48零戦52型丙のキットを改造しましたから、52型丙改になるのでしょうか。

排気管口や銃口は孔を開け、キャノピーの枠は削り落としてから透明になるまで磨きました。

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一部のデカールを除いて殆どが手塗りで、日の丸は陸軍の防空隊のようにしてみました。

枠省きも、鉢巻日の丸も、思っていたより違和感が無いです。

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雷電は曲面ガラスを景色が歪むと指摘されて、平面ガラスに変更改修したと資料で読みましたが、工数や部品数を少なくして単純化する製造プロセスで、より多くを量産しなければならない戦況に、優先した平面ガラス構成で増えた枠は量産性を低下させ、戦闘時の視界を妨げる死角にならなかったのだろうか?

この曲面ガラスの何処が歪んで、対象物が大きく? 小さく? 長く? 短く? 霞み? 変形して見えるのだろうか?

夜間飛行で計器盤の仄かな灯りが曲面に反射して、追跡してくる大きな火の玉にでも目えるのだろうか?

それとも、見慣れないだけや、閉じ込められ感が違うみたいな違和感を嫌ったのでしょうか?

曲面化されたガラスで視界が部分的に歪む対象形状の不確かさより、「其処に何かいる」「其処から何か来る」の認識の方が重要で優先されるべきではないのだろうか?

などなど、それら故に敗戦が切迫する戦争末期でも省エネ化しなかったのは納得できないですね。

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PS:

堀越技師によれば、九六式艦戦をゼロ戦よりも快心の作であったと言ったそうですが、その言葉が戦後に語られたのなら、信用できないですね。

戦後にゼロ戦を「好きではなかった」と、どのようなニュアンスで語ったのか分かりませんが、私が『丸』を読み始めた小学生高学年から『軍事研究』も読み出した高校生の頃は、青春期の男女が安保闘争とグループサウンズに熱狂していても、敗戦と侵略の国家イメージと圧し付けられたアメリカン民主主義に、日本の勝利で完結する大戦中の物語を公けに作れなかった時勢で、現在に至っても占領から完全独立を果たしていない日本では、戦犯機に等しいゼロ戦らの大戦機を開発者自らが讃える事を避けていると思います。

そして、いつの時代でも開発エンジニアなら当然、競合相手の技術を凌駕して世界に先駆けたモノを作りたいと考えます。

魁けるモノは必然的にデザインが洗練され、シンプル・イズ・ベストになり、高性能を秘めた美しさを醸し出します。

あの時代、帝大航空学科を卒業して三菱内燃機製造株式会社に入社すれば、軍用機以外の設計開発は有り得ず、他国機を圧倒して華々しく活躍する機体を作りたいと考え、自覚を持って兵器の開発に熱中していたでしょう。

国情が切迫して来れば、尚更、自分の設計に回天を求めていたでしょう。

それは、研究・開発のエンジニアなら当たり前の事です。

それが彼が求めた美しさで、時の日本が得た必然のエンジニアだったと思います。

それと、先鋭エンジニアの理論的技術思考と、原作小説の夢想の果ての悲哀な主人公と、人生が終われば世界も消滅するみたいな己の負の美意識をゴチャ雑ぜにしたアニメ『風立ちぬ』。

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「風立ちぬ、いざ生きめやも」、フランス語の原文は「Le vent se lève, il faut tenter de vivre.」、普通に翻訳すると、「(必ず)風は起きます(から)、生きようとする事(気持ち)が必要です」なのを、何故に理解し難い意味深な日本語にして用いるのだろう?

現在に於いては、勿体振りでオーディエンスを愚弄しているとしか思えない。

そんな纏まりの無い不自然さは、一人称で『私』にすべきところを、あからさまに『堀越二郎』にしたところに有りますね。

その意図は、美しい飛行機が戦争の兵器として産まれ、発展しているのを嘆いているのでしょうが、実に締りが無いです。

ですから、夢で会いましょうのカプローニさんもいただけない。

夢の御告げのようなカプローニさんがいなければ、田舎の屋根の上から飛び立つ妄想が進化しないと言わんばかりです。

前衛的なカプローニさんを、あのようなイメージにして欲しくなかったです。

荘重な三葉翼や複数発動機と美しい旅客機の構想は、寧ろ本庄技師に相応しいのであって、堀越技師の頂を低くなだらかにしてしまっています。

「風立ちぬ」では「Ca-64」のみの登場で良かったと思いますね。

それと、エンジニアを、いくら故人の関係者から許可を得て望まれたからといって、病床に臥せる愛する女性の真横で手を握りながら煙草を吹かすような気遣いも、察しも無い、無神経な人達のように描く事も、語る事もしないで欲しいですし、女性に外見と性格の美しさだけを求める人種にも、しないで貰いたいですね。

愛煙家に対しても、我の強い非情なイメージを与えてしまう侮辱だな。

あの喫煙シーンの多さは、明らかに禁煙へのアンチテーゼでしょうが、余りにも稚拙で短絡的ですね。

煙草を吸う夫に手を握られた瞬間、病魔に侵され毀れてしまう自分を看取られる安らぎよりも、毀れる醜さを避けられる不安の方が大きいと悟っちゃうでしょう。

まったく、理論と経験とセンスに基づいたエンジニアの頑固さを、個人の趣向や主義の頑固さと一緒にしないで貰いたいものです。

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アニメは大好きで、よく何度も観直す事をしていますが、「風立ちぬ」は観直す度に溜め息が出て劣化して行く気がします。

夢も希望も、恋愛も、仕事も、生活も、主義主張も、時代の写しも、成長も、自然な美しさも、全てが中途半端でレクリエムにもなっていないです。

観終わると、いつも救われない感が増してしまいます。

それは『永遠の0』のムービーも同じです。

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寮部屋の机上が撮影ステージです。

A4のコピー用紙を敷き詰めて照明を当てただけの簡易スタジオで、プラモやのぞみ札の製作やレポートにネットも、この机を使っています。

レフ板は面倒なので、代りに白手袋と白いシャツを着けて撮ってます。

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ずぅーと以前、高校1年の時に初めて迷彩塗装までして完成に至れた フジミ1/48フォッケウルフFw190 Aタイプです。

ニューアイテムのピースコンを散々苦労して使いこなしてました。

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こちらは二作目の飛行機モデル、19歳の夏に作ったレベル1/28フォッカーDr.1三葉戦闘機 リヒトホーヘン男爵乗機です。

あれから航空機のモデルはブランク続きで、B17、B24、B29とモーターライズ仕掛けては挫折していましたから、このバブルキャノピーのゼロ戦で三つ目の完成になります。